人間解放のマルクス主義を求めて<討論>

われわれのめぎす社会主義とは何か

松江

労働運動研究 198911月 No.241

 

疑問と既存の教条

  植村さんが歴史的、全面的な展開をざれているので、私は過去を振り返りながら私の思想的な反省のなかから現在の問題を再追求してみたいと思う。

  私自身のコミュニズムの運動のなかで自分の思想史という点から見ると、自分がこの前の戦争と原爆の間をすりぬけるようにかろうじて生きのびたということから、戦争にたいして何もできなかったという悔いと負い目が、反戦運動からコミュニズムの運動、社会主義運動へととび込んだ私を完全燃焼させた。だから疑問とか懐疑とかというものは戦後はじめの数年間は全くなかったわけで、ほとんど私にとって運動と組織とは「神」のごとき存在であったといま思う。

  その私が最初に自分のなかからどこかに疑問と懐疑を感じ始めてきたのは個人的な経験に則して言えば、「五〇年分裂」とそれ以降のコミュニズムの運動のなかにおけるさまざまな経験――ある場合には陰惨な、ある場合には激烈な指導権争い―などのなかで疑問が湧いてきた。

  いま考えてみると、この疑問はマルクス・レーニン主義の内部から生まれ、組織の方針がマルクス・レーニン主義にはずれているのではないかという疑問より、マルクス主義以前というか、運動に入る前の自分のなかにあったもの、むしろ一人の人間として自立的に進歩的な運動にかかわっていく場合に自明の前提になるような自覚と基礎から生れた疑問であった。ところがそういう過程を経ながら、やっぱり自分が学んだマルクス・レーニン主義のテーゼやプリンシプルのなかにその疑問を無理矢理におし込んでいくという惰性で、一九五〇年以来さまざまな運動と経験を経ながら、もちろん少しずつ変化はあったが、やはり既存の教条から抜けでることができなかった。

 

画期のポーランド問題

 

  そういう意味で私にとって一つの画期となったのは、八二年の『労働運動研究』一月号で、長谷川さんが労働運動の、遊上さんが新旧左翼の問題点を提起し、私が現代における社会主義の問題点を提起して、いまここにいる人々と討議したことです。いま読み返してみると、私はあのなかで初めて、資本主義国内における社会主義をめざす民主主義の徹底化の運動と現存社会主義に欠落している民主主義をどう実現するのかという問題を相互に照応させつつ世界革命に進む歴史的な過度期の問題としてとらえなければならないのではないか、と提起している。

  私がこうした提起をしたのは当時のポーランド問題からきている。結局、唯一前衛党論からいうと、何もかも指導すべきはずだったのに、それとはまったくちがった経路から労働者の運動がグダニスクのストライキ委員会からはじまってあのような運動に発展した。しかもそれが党の指導する政府と一定の社会的契約を結ぶという事態は、まったく今までになかったもので、それ以前にチェコの問題があったが五ヵ国の軍隊の侵入で葬り去られてしまったという状況のなかで起きたポーランドの事態は、私にとって非常に大きな影響を与えた。

 

論争のなかで核心へ

 

  結局それが一つの転機、出発点となって、その後の論争(一九八三――八四年「労働運動研究」)のなかで、初めてマルクス・レーニン主義の自分の知っているテーゼやプリンシプルから事実を見るのではなく現に起きている事実からテーゼやプリソシプルを検証・検討するという批判的な見方ができ始めたのは、ようやくあの頃からだったのではないかと思う。

  それは考えてみると、コミュニズムの運動や組織というものが、いわゆる一般の通常社会とは隔絶した一つの別世界、別天地として、そのなかだけに通用するようなテーゼやプリンシプルのなかに外界に起きている事物を当てはめて捉えるというやり方が一体どうであったのかということが、あの頃になってやっとわかってきたような気がした。

  そこから結局私にとっては初めて唯一前衛党に対する批判というもの、またたとえば選挙というものに対して、社会主義では選挙は不要であれは民主主義ごっこだと当時はソ連で言ってたが、やはり社会主義のなかでも対立=競争はあり、それにたいして批判=選択がなければ民衆の要求は反映できない。唯一前衛党論は、どんな批判があっても結局その党の自浄作用を待つしかないということできわめて非合理的で非民主的で非民衆的であって党=国家のタブーでしかない。だがそういうものがやはり長年自分の思想のなかの中心部に位置して坐っていたということに対する反省と、それを内側から少しずつ改良していくのではなく、外側に足場を置いて根底的に見直すことが必要だと思い始めた。私の思想史としては、あの論争の過程すなわちポーランド論争、チェコ問題の論争、あるいはソ連とイタリア共産党の論争、それからわれわれが直接係わってたたかわした諸論争のなかで思い切って問題の核心へ遅まきながら迫ってゆくことができたのであった。

 

ネップの捉え直し

 

  先ほど植村さんが詳しく全面的に展開されたものに、いま全部にコミットすることはできないが、たとえばいくつかのキーワードのような形で言うと、さっき「ネップ」の問題が出されたが、私も「ネヅプ」には強い関心をもっている。「ネップ」は当時のレーニンもソ連の歴史のなかで簡単にすぐ克服さるべきごく短い期間というような捉え方ではなかったように思う。かなり歴史的に重要な特殊な過渡期として捉えられていたはずだった。ところがスターリンによってそれがたちまち「追いつき追い越せ」路線を前提にした生産力論によって農業集団化、重化学工業化ということで一足とびにとび越していってしまった。私はソ連の経済史のなかで、格別に遅れ歪んだロシア資本主義経済の改革・革命にとって大事なところだったのではないかと思う。ゴルバチョフの提起やソ連の学者たちの論争で見ると、「ネップ」の問題をもう一度捉え直すという問題が出てきているように、私の見ている範囲では思える。

 

原点そのものの検証

 

  植村さんが言われたように三段構えがあると思う。マルクスがあり、マルクスをその限りで理解したレーニンのマルクス主義があり、そのまたレーニン主義みたいなものを自分なりに理解したスターリンによるレーニン主義従ってスターリン的なマルクス主義、こういう重々段々な発想があるわけだが、それを原点に返ってもう一度見直すということだけではなく、原点そのものもいまの具体的な事実、現実と照らし合わせて、もう一回束縛されずに捉え直して検証することが必要になってきていると思う。それをやらない限り発展は出てこないと思う。

  そういう意味では、われわれもかって保守派であり、またいまでも、怠けていればいつでも保守派に転落する可能性はある。もしわれわれが本当に進歩派であろうとすれば、新しい事実のなかから捉え直すことが必要ではないか。それがマルクス主義の方法論であり哲学ではないのか。

 

平和共存論の見直し

 

  二番目のキーワードとして「平和」・「平和共存」の問題がある。私が読んだり考えたり再追求した限りにおいて、まさにレーニンはさっき言われたとおりで、一定の概念にいろいろなものを投げ込んで風船みたいに吹くらました体系的な論として引き廻すのではなく、もっと率直に革命後の平和をかちとることが革命ロシアを守っていく上で重要だということで率直で素直な事実に即した方針である。私の理解によると、平和共存論を打ち出したのはスターリンだったと思う。スターリンが第十四回党大会(一九二五年)以来なんべんも平和共存論を展開している。スターリンの場合には世界市場論と結びついた形で、この平和共存論が出されてきている。つまり社会主義市場と資本主義市場の対立のなかで資本主義に「追いつけ追い越せ」路線を実現して一国社会主義建設をすすめ社会主義ソ連を帝国主義の攻撃からまもるためには平和共存が必要だとする。ところがフルシチョフになると、その平和共存が国際的な階級闘争の一形態という国家と階級を混交したまったくおかしなテーゼに再構築され、ますますその内容がふくらまされ、固められていくという事態が起きてきた。

  いまゴルバチョフ自身ももう一回そこのところを見直して、二つの市場の対立を前提にした体系的な革命論の一環のように粧って実は社会主義防衛論あるいは政治的掛け引き論のようなものとしてではなく、「新しい思考」というのはいろいろ問題はあるが核時代の思想としての平和あるいは平和共存という今日の問題を再追求しようと思い始めている節がみられるような気がする。

 

「唯一前衛党論」

 

  それから三つ目にはさっき言った「唯一前衛党論」で、さっきは指導政党といわれたが、指導政党ということはマルクス・レーニン主義党は一つしかないし、誤ちを犯さずいつも正しいその党がすべてを指導するのだという、無謬論と一枚岩論、前衛党論と唯一指導党論は、相互に照応しつつ一つの体系に凝集したものであるが、こういうものがかなり遅くまでわれわれの心の中に残っていた。それからも当然解放されなければならない。

  経済史における「ネヅプ」のとびこえ、政治史における「平和共存」、組織史における「唯一指導党」という三つの問題はひとつながりである。不可避的な戦時共産主義から内戦後の再出発ー資本主義から端緒的な社会主義への過渡期として長期に亘る「ネップ」は、同時に戦時期における政治的な急進期から社会主義的民主主義への転換という重要な過渡期であった。しかしスターリンは生産力論にもとつく農業集団化・重化学工業化を急いで「ネップ」をとび越え、その急進的な過渡期を市場論にもとつく「平和共存」論でカバーしつつ「唯一指導党」による一国社会主義の完成をめざしたと思われる。それはすでに歴史と現実の分析を基礎にしたマルクス主義でもレーニン主義でもなく正に恣意的なスターリン主義に外ならぬ。

 

客観主義的史観の克服

 

  私はいま若い人たちとの勉強会でグラムシの『獄中ノート』の読み直しをやっているが、いままで概念的にとらえていたものをもう一度思想というか哲学という意味で、グラムシの提起している問題の重要性を考え直し始めている。たとえば唯物論がともすると陥りがちな客観主義的史観。さっき科学的な法則論といわれたが、つまり人間存在自体もそのなかにとり込まれ客観化されてしまった必然論=宿命論のような法則論。ところがグラムシは生産力と生産関係との関係をスターリン的な機械的断定ではなくある種の相互作用として捉えている。さらに、科学的な予見という問題を、予見しようとしている人間から切り離して見ることが科学的だというとらえ方に対して、再検討しなければならないと指摘する。予見をする者が一つのプログラムをもって働きかけ今後情勢がどう動いていくかを捉えきった時に初めてそれはその人にとって客観性をもつという捉え方、もちろん一方における主意主義的なものに対しては厳しく警戒しながら、長い間少なくとも私のうちにあった科学的な法則論というものの認識の仕方をもう一度考え直してみなければならないという契機を与えてくれた。

  考えてみると戦後初期の、今から考えると別世界のようなコミュニズムの運動のなかでは一定のメガネでしか社会も、現在も未来も見れなかったし、そのメガネにうつらないものは存在しないかのように考えていたあの当時、たとえば梅本克己が提起した主体性論に対して、当時の日本共産党は近代主義だといって厳しく批判し、まるで革命の反対物のようなこっぴどい批判をしたのを憶い出す。たしかにそのなかには主意主義的な、近代主義的なものはあったと思うが、どうもそれを近代主義とだけ斬り捨てにしてすむ問題ではなかったのではないか。あれは当時支配的だった唯物論的客観主義とでもいうような決定論に対する一つの抵抗として出ていたのではなかったか。

 

日本の運動の変革

 

  自分の思想史とコミュニズムの運動史、あるいは現存社会主義の歴史、これらを重ね合わせ照らし合わせて見ていく時に、いままでの自分のメガネとはちがった生の目でようやく八○年代から少しずつ見え始めてきているように思うし、さまざまな歴史的論争のなかで見る目が育てられてきたと思う。

  そういう点では植村さんも言われたように、新しい改革の道、すなわち現存社会主義の革命的な改革という問題と、資本主義国内におけるマルクス・レーニン主義党あるいは社会主義をめざす革命運動というものの再追求・改革の問題と、これは決して別のものではない。ポーランドも変わりましたね、ソ連も変おりましたね、と言いながら、こっちの内側はちっとも変わっていないのでは、まったく意味がない。やはり日本の運動のなかにある古い教条的なものや一人合点している恣意的なもの、そういうものを批判することと、現存社会主義が模索しながらすすめている運動、あるいはそれをとり囲む民衆の要求と行動、そういう問題をバラバラな問題としてではなしに、統一的な世界史的過程として捉え直していくことのなかに、新しい改革の意味があると思う。

  そうしていま何より重要な問題は変革のための運動論や組織論だけでなく社会主義論全体について追求し直し、問い直すという根底的な問題であると思う。すでに分り切っているという問題を、私達はもう一度疑い直すことこそマルクス主義に立ち還ることではないか。

 

われわれのめざす社会主義とは何か

 

  一体われわれのめざすものは何なのか、社会主義とは何か、あるいはわれわれがめざしている理想社会とは何か、ということを探り直す必要がある。それはたしかに大いに豊富な物質的な世界が前提になるというけれども、それで新しい理想社会ができるのかどうか。この問題は単にその社会だけの問題ではなくて、もっとグローバルに、資本によって破壊される地球の環境の問題、エコロジズムの問題、それから途上国の問題、一方では飢えて大国の収奪の犠牲になり、他方ではその故に生活を維持してゆくために環境を壊さざるを得ない状況がある。そういうグローバルな問題もふくめながら、われわれのめざす社会主義とは何か、それをもう一度さぐり直していく必要がある。

  私は革命論というのは三つの要素があると考えている。一つは目標、われおれは.何をめざすのかが必要であり、もう一つはその目標を実現するはの誰なのかという問題、われわれは昔から今日まで労働者階級を変革の主体として追求してきたが、その労働者階級というのは一体どうなっているのかという問題をもう一回さぐり直す必要がある。唯一前衛党論では、労働者階級を非常に抽象化し現に存在している労働者のさまざまに分節した諸運動というよりも、拙象化された労働者階級の代理的なエリートとして労働者階級を代位するという名分がつくられてきた傾向が強い。三つ目には、どんな方法でめざす社会に移っていくのかという問題がある。これは昔から論議された問題だが、前の二つの点と照応させて追求し直していかなければならぬと思う。

  われわれの資本主義社会においてめざす社会にアプローチしていく方法の問題と、現存社会主義がどう改革してめざす社会に到達できるのかという問題、これは決して別のことではないと私には思える。それは社会主義における民主主義の問題を、単に過渡期ととらえたり手段にするだけでなく、めざす社会主義の最も本質的な性格としての民主主義である。

  植村さんの問題提起に関連して十分コミットしていないが、私なりの反省もふくめていくつかの考えている問題点を述べました。

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